西舞鶴駅の駐車場に停車していたので、すぐ出かけるのもありでしたが、せっかくなので駅近くにある田辺城にも観光しに行くことにしました。


海舞鶴線跡。

西舞鶴駅から北方面に向かう道は遊歩道として整備されていました。
ここはかつて海舞鶴線(舞鶴港線)と呼ばれた路線の跡だそうです。
西舞鶴駅から舞鶴港を結び、貨物運送を中心に行っていた路線でしたが昭和60年に廃線になったそうです。


遊歩道になっています。

現在は綺麗に整備された遊歩道になっていました。
この遊歩道を歩いて約800mほど北に進むと、田辺公園、そして田辺城があります。


田辺城。

田辺城は昭和になってから復元された復元天守。
当時描かれた絵図を元に、二条城の天守を参考に復元したものだそうです。
入場無料ということで早速入ろうとすると、何やら怪しいおっちゃんが…

「田辺城を観光しに来たの? 説明するよ?」

地元のボランティアガイドのおっちゃんに捕まってしまったおいら達。
あまりお客さんが来ないからなのか、色々と喋ってきます。


上からの景色。

唖然あの、雨がひどいんで早く中に入りたいんだけど…

雨がどんどん強くなってるけど全然気にしないおっちゃん。
悪気はないのだろうけど、これは困ります。

この城は足利義昭、織田信長の家臣の細川藤孝(幽斎)がこの地に城を築いたことが始まりで、子の細川忠興が後に居城としています。
歴史的にこの城が有名になったのは関ヶ原の合戦の直前の時。
細川忠興が関ヶ原の合戦の前に、徳川家康の部隊と共に会津まで遠征していた際、細川幽斎が田辺城で石田三成方の武将・小野木重勝らが率いる15,000人以上の部隊を相手に500名程度で籠城。
結果的に当時の天皇・後陽成天皇からの停戦要請を受けるまで約50日間も持ちこたえることになりました。

…と、この前知識がある状況で田辺城にやってきたおいらでしたが、なんだか判で押したように1から10まで説明しようとします。
もちろんおいらの知らない情報もあるけれど、とりあえず全部喋りたいタイプのガイドさんのようです。
ある程度話を聞きつつ、とりあえず中に入りました。


田辺城博物館。

田辺城の隣にある大手門の2階は田辺城博物館という資料館になっていました。
こちらも入場無料です。
中には細川幽斎像や細川氏、また細川氏の後に田辺城に入った京極氏、牧野氏に関するいろいろな情報があり、興味をひきます。
しかし、先ほどのボランティアガイドのおっちゃんが1つ1つ懇切丁寧に説明しようとするので当初20分ぐらいで見て回ろうと思っていたのに、結果的にがっつり1時間ぐらい捕まってしまいました。

歴史に詳しい人にとってはちょっと引っかかるかもしれない田辺城。
でも全体的で見ると楽しいところでした。

※田辺城資料館

住所:京都府舞鶴市南田辺15-22
TEL:0773-76-7211


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