忍城時代まつりの飲食ブースをだいたい見たところで、そろそろ忍城に向かいます!
途中グラウンドのようなところでなにやら子供向けのイベントが行われていたりしましたが、やたらとハイテンションな司会がいたことは印象に残りましたが、結局何のイベントかわからずじまいでした。


忍城に向かいます。

忍城に向かう門をくぐって、忍城を目指します。
辺りはすっかり紅葉していて、より風流な感じです。
忍城周辺で紅葉を見るのも良さそうですね。


忍城御三階櫓。

広場を抜けると、忍城の御三階櫓と呼ばれる城郭がありました。
この櫓は当時のものではなく復元のものだけれども、やはり城を見るとうきうきするものです。
つい興奮していろいろな角度から写真を撮りたくなります。

すると横の方で武者行列の方が終わり、忍城の中に入って行く武者の皆さんが。
これは追いかけないといけません!


観光客が多いです。

どうやら武者行列ではなく火縄銃演武がちょうど終わったばかりのようでしたが、武者の皆さんが団体で忍城の中に入っていったので追いかけます。
途中、茶席もあって紅葉を見ながらお茶を一服、というサービスがありましたが目指すはやはり武将のみなさんです。


行田市郷土博物館。

行田市郷土博物館の前で武者行列に参加した皆さんが一堂に会しているので何かと思っていたら記念撮影を行っていたり、自由に記念撮影を行える状態になっていたのでおいら達も写真撮影をしたりしていました。
地元の人が多めでしたが、歴史好きと思われる女性もちらほらいました。

武将の皆さんも見たし、とりあえずは一段落…と思っていたら、本日は忍城時代まつりなのか埼玉県民の日なのか、行田市郷土博物館は無料開館しているということなので、無料ならばということで早速入ってみました。
行田市郷土博物館の中は、忍城の歴史の紹介がやはりメインです。
小田原の陣で豊臣秀吉軍と北条氏政・北条氏直軍が戦った際、武蔵国の前線基地としての役割を持っていたのが忍城です。
城主の成田氏長が小田原城に行っている間、忍城には豊臣秀吉の腹心、石田三成が攻めたものの城代の成田泰季をはじめ、正木丹波守、酒巻靱負、柴崎和泉守、そして甲斐姫らの守勢によって攻めあぐね、石田方が水攻めを行ったもののこれも失敗。
結果的に小田原城が落城後も忍城は落城せず、名城とたたえられています。
ちょうど2011年秋頃に「のぼうの城」の映画公開予定ということもあり、ちらほらと「のぼうの城」キャンペーンのものも展示されていたりもしました。

そのほかには明治期の行田足袋の歴史をはじめ、さきたま古墳にちなんでの縄文時代の展示品もいろいろ。
戦国時代→明治・大正時代→縄文時代→という若干変わった展示順でちょっと驚きました。


忍城からの眺め。

展示室を一通り見たと思ったら、通路が伸びていて何かと思ったら先ほど見た忍城の内部につながっていて、忍城の内部から景色を眺めることが出来ました。
昔はこのあたり一帯が沼だったそうで、今とは全然風景も違ってきたのでしょう。
城からの眺めというのはやはり良いものです。

じっくりと見て回って大満足。
無料で見れたのは本当に運が良かったです。


鎧試着コーナーもあり。

そして行田市郷土博物館では実は鎧の着用体験もできました。
伊達政宗の鎧や成田氏の鎧なども着用できるということもあって、かなり人気のよう。
おいら達も着用してみたかったのですが、約1時間待ちと聞いて今回は諦めました。

唖然意外と女性の人が着ている感じね…

鎧を着用しているのは小学生か若い女性が多い感じで、思っていたよりも成人男性の体験は少ないよう。
小学生はわかるけれども、女性というのはやはり歴女だったりするのかしら…
あかり姉さんも伊達政宗の鎧は着てみたかったようで、やはり人気なのかもしれないですね。

◆埼玉県民の日に行田ぶらり旅
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