本日は鰺ヶ沢から北に向かい、津軽半島の先端の龍飛岬を目指します。
でもその途中に寄りたい所かあるのでいろいろと寄り道しながら向かうことにしました。


追い越し禁止なのに白線とは…。

まず向かったのは太宰治のふるさと、金木町。
その途中の道で追い越し禁止の標識があるのに白い破線の道路を見かけて思わず動揺してしまいました。

唖然最近追い越し禁止になったのかしら…

元々は追い越し禁止の標識がなかったと思われるこの道路。
おそらく後付で追い越し禁止になったのでしょう。
正直、標識があっても間違って追い越しそうで怖いです。


津軽鉄道金木駅。

鰺ヶ沢駅から約1時間。
津軽鉄道金木駅に到着しました。
この駅で列車の行き違いを行うようで、駅員さんがタブレット(通票)を津軽中里方面の運転手に渡していて、なるほどなぁと実感します。


太宰治列車。

津軽鉄道は「メロス列車」「太宰列車」など、太宰治にちなんだ車両名になっているものも。
また駅名標も太宰治の筆跡を使用した駅名標になっているのが特徴です。
もう、太宰治の町になっているような気がします。

「金木は、私の生れた町である。津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これといふ特徴もないが、どこやら都会ふうにちよつと気取つた町である。善く言へば、水のやうに淡泊であり、悪く言へば、底の浅い見栄坊の町といふ事になつてゐるやうである。」

太宰治が小説「津軽」の中でこのように評した金木町をぶらぶらと散策してみました。


駅前通りは「メロス坂通り」。

金木駅から斜陽館までの道は「メロス坂通り」と名付けられていました。
ゆるやかな坂道だからメロス坂通りなのか、太宰治にちなんでとりあえず付けられたのかはわかりません。

通り沿いには小説「走れメロス」が紹介された案内板がいくつもあり、順に見てゆくことで「走れメロス」の内容がわかるようになっています。


斜陽館。

メロス坂通りをしばらく歩いたところで斜陽館が見えてきました。
斜陽館は津島源右衛門が建築した建物で太宰治の生家としても知られています。
明治・大正時代の建築を今に残す建物で、金木町の名士であった親、兄に対してのコンプレックスも小説「津軽」に描かれていて、当時の身分社会などを感じさせる内容になっています。


芥川賞作家のピース又吉さんも来店。

斜陽館の隣にある土産物屋には太宰治大好き芸人のピース又吉さんも来店していたそうでサイン色紙が飾ってありました。
その又吉さんは太宰治が生涯欲しくて欲しくてたまらなかった芥川賞を受賞してしまったものだから、世の中面白いものですね。

太宰治が芥川賞が欲しいがあまり審査員の佐藤春夫に4mもの手紙を送った話とか、川端康成は絶対に許さないよみたいな逸話とか、いかにもダメ人間なんだけどなんだか憎めない作家・太宰治。
そんなダメ人間味のある展示は金木町にはなかったけれど、それをちょっと期待していたおいらがありました。

◆秋の津軽海峡ぶらり旅
秋の津軽海峡ぶらり旅【目次】



※ 当サイトの各種サービスをその利用規約等で定める範囲内でご利用いただく場合や、著作権者の許諾なく著作物を利用することが法的に認められる場合を除き、無断で複製、公衆送信、翻案、配布等の利用をすることはできません。また、利用が認められる場合でも、著作者の意に反した変更、削除はできません。記事を要約して利用することも、原則として著作権者の許諾が必要です。
※ 当サイトの情報は執筆当時の情報を元にしているため、現在の内容とは異なる場合があります。